幸せは案外身近にあるってこと

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何あたりまえのこと言ってるんだよ、って思いますよね。

 

私も、以前の私ならそう思っていたと思います。

怖いことで、”幸せ”っていう定義はどんどん「もっともっと」を求めていくのに

そのことに気づかないんですよね。

 

究極を言えば

命があることだけでありがとう、なんです。

いろんな親がいると思うけど、

だけど、この世に生を与えてくれたということにおいては

親には感謝ができるのでは?

 

親元を離れ、自立し、自分のお金で自分のやりたいことができるようになると、

いつもの珈琲よりちょっといい珈琲を買ってみたり、

ちょっと背伸びして高価なものを買ってみたり、

いつの間にかつかのまの贅沢が日常になっていく。

そうやってどんどん生活コストのステージがあがっていく。

 

その事自体は悪いことじゃないんだけど、

それと同時に、

いつの間にか私は感謝の気持ちや幸せを感じるセンサーが劣化していった。

時間はお金で買えるし、モノやお金で解決できるから。

でも、自分が感謝や幸せに対して感度が悪くなったなんて気づかなかった。

なんて愚かだったんでしょう。

 

でも今は、

・朝起きて、気分よく起きられたこと

・今日はおいしく珈琲がいれられた

・今日はもりつけが上手にできた

・天気がいいなぁ

・今日は・・・

 

幸せだなぁって感じられる。

実は幸せってとても身近にあって、その中に自分はいたんだってこと。

 

これまでもあったはずの同じ日常なのに

それをまったく感じられなかった私と、感じられるいまの私。

何が違うんだろう。

 

みんなそれぞれの人生でいろいろなことが起きると思うけど、

「足るを知る」って言葉が私を目覚めさせた。

わがままいわないとか、あるもので我慢しなさい、という意味ではなくて、

実はすでに持ってるんだよ、ってこと。

 

そして「感謝」をする気持ち。

私はこの人としてあたりまえのこの感情を持っていたつもりだけど、

”つもり”であって、実は圧倒的に欠けていたことに気づいた。

案外自分のことって、自分はわかってないってことにも。

 

今、共感できなくてもいい。

きっといつか自然と共感できる日がくるから。

でも、ちょっとでも何か変化がほしいと思うなら、

身近の幸せに心を寄せてみて。

 

あなたがいま囲まれている当たり前は、本当に当たり前じゃないから。

 

ありがとう。

いつも、ありがとう。