間違ったポジティブシンキング

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ポジティブに物事をとらえ、生きていこうとすることは素晴らしいことです。

 

でも、、間違ったポジティブシンキングがあるんです。

 

それは、自分の気持ちを見ないふりして、蓋をして、ポジティブシンキングでごまかすこと。

 

私はこれをやってしまっていたんです。

怖いことに、誤魔化してるなんて実感もなく。この積み重ねがわたしの体調を壊しました。

 

世の中ポジティブポジティブが独り歩きしてるから、言いたい。

 

ちゃんと自分の声を聞いて、受け止めて。

嫌な気持ちになったこと、辛いって思ったこと、素直に受け止めて。それでいい。

 

だけど、前を向いていくために、どうしたら幸せになれるのか、を考えて行動していきましょ。辛いこと、いやなことは人生誰しも起こること。でもそれをどうポジティブに変換できるか、昇華できるか。その力がポジティブシンキングです。

 

どうか、私みたいに壊れないために。

万人に好かれるなんて無理

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世の中色んな人がいます。

あなただって、一緒にいて心地よい

人がいれば、そう

でない人もいますよね。

相手にとっても同じこと。

 

だから、万人に好かれようなんて思わないこと。好かれなくても傷つかないこと。無駄だから。そして自分を責めないこと。

 

嫉妬、妬み、が原因ならそれは相手側の問題。

気にする必要なんてなし!

 

ただ、距離を取りましょう。

それがお互いのため。

 

他人の軸より、自分の軸

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友達や家族、つまり自分以外の他人に言われた何気ない言葉が

頭の中を占拠して悶々としたり、時間を奪われたり、どよーんと落ち込んだり

すること、ありますよね。

 

ま、一旦、自分のためを思って言ってくれたとしてその言葉は「受け取る」としても、

「受け入れるかどうか」は別。

 

その言葉は、他人の軸をもとにあなたに投げられたもの。

必ずしも正しいとは限らない。

それにその投げかけられた言葉は相手がどんな気分や状況の元に発せられたかなんて知ったこっちゃない。何か気分悪いことがあって投げられた言葉だったら、そんなゴミは気にする必要もない。

 

だから素直になんでもかんでも受け取っちゃいけない。

自分で自分を傷つけるなんて、安易にしてほしくない。

 

まず、あなたはあなたの軸でそのことを考えよう。

あなたはあなた、他人は他人。

他人の評価軸で生きる必要はないのだ。

自分の評価は、他人の軸ではなく、自分の軸で判断しよう。

だって、あなたの人生はあなたが主役だから。

白黒つけない、グレーもある。曖昧さを受け入れよう。

 

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いろいろな判断基準があるけれど、

「好き 嫌い」

「白 黒」

の世界だけで決めることを手放すと、生きやすくなる。

 0か100の世界はやめよう。

その間にたくさんの幅があるんだ。

 

キーっってなってしまうのは、

物事を白黒つけようとしてしまうから。

でも色の世界には、グレーもあるんだ。

 

人のことを、好き嫌いで分けてしまうと、辛くなってしまう。

だから、なんとも思わない、っていうのもありなんだ。

 

「曖昧さ」を受け入れよう。

「曖昧さ」を持てるようになると、生きやすくなる。

だって、ものごとなんて、ラベリングできないものもあるのだから。

 

みんな、いろいろある

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いつも颯爽とバリバリ仕事している人

いつもにこにこ明るいすてきな人

 

身近にこういう素敵な人いますよね。

 

テレビやドラマでも、すてきな人生を歩んでいる、キラキラしている人を見ると

憧れちゃったりしますよね。

 

でもね、間違いなく、「みんないろいろある」人生。

だから、他人と比べて、落ち込む必要はない。

 

みんないろいろある、から。

 

あなたがみているのは、そのキラキラの人の”一部”だから。

 

みんないろいろある、けれども、それにどう向き合うかは人それぞれ。

向きかたは別の機会に話すとして、

ひとまず、他人は他人、うちはうち。

だから他人と比較しない。世間と比較しない。

 

あなたはあなた。

わたしはわたし。

 

幸せは案外身近にあるってこと

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何あたりまえのこと言ってるんだよ、って思いますよね。

 

私も、以前の私ならそう思っていたと思います。

怖いことで、”幸せ”っていう定義はどんどん「もっともっと」を求めていくのに

そのことに気づかないんですよね。

 

究極を言えば

命があることだけでありがとう、なんです。

いろんな親がいると思うけど、

だけど、この世に生を与えてくれたということにおいては

親には感謝ができるのでは?

 

親元を離れ、自立し、自分のお金で自分のやりたいことができるようになると、

いつもの珈琲よりちょっといい珈琲を買ってみたり、

ちょっと背伸びして高価なものを買ってみたり、

いつの間にかつかのまの贅沢が日常になっていく。

そうやってどんどん生活コストのステージがあがっていく。

 

その事自体は悪いことじゃないんだけど、

それと同時に、

いつの間にか私は感謝の気持ちや幸せを感じるセンサーが劣化していった。

時間はお金で買えるし、モノやお金で解決できるから。

でも、自分が感謝や幸せに対して感度が悪くなったなんて気づかなかった。

なんて愚かだったんでしょう。

 

でも今は、

・朝起きて、気分よく起きられたこと

・今日はおいしく珈琲がいれられた

・今日はもりつけが上手にできた

・天気がいいなぁ

・今日は・・・

 

幸せだなぁって感じられる。

実は幸せってとても身近にあって、その中に自分はいたんだってこと。

 

これまでもあったはずの同じ日常なのに

それをまったく感じられなかった私と、感じられるいまの私。

何が違うんだろう。

 

みんなそれぞれの人生でいろいろなことが起きると思うけど、

「足るを知る」って言葉が私を目覚めさせた。

わがままいわないとか、あるもので我慢しなさい、という意味ではなくて、

実はすでに持ってるんだよ、ってこと。

 

そして「感謝」をする気持ち。

私はこの人としてあたりまえのこの感情を持っていたつもりだけど、

”つもり”であって、実は圧倒的に欠けていたことに気づいた。

案外自分のことって、自分はわかってないってことにも。

 

今、共感できなくてもいい。

きっといつか自然と共感できる日がくるから。

でも、ちょっとでも何か変化がほしいと思うなら、

身近の幸せに心を寄せてみて。

 

あなたがいま囲まれている当たり前は、本当に当たり前じゃないから。

 

ありがとう。

いつも、ありがとう。